山本光学で働く3年目の社員がSWANSの歴史を紐解いていくブログ第4弾。
今回はSWANSが長年続けているプロアスリートへのサポートや共同開発の歴史について掘っていきます。
レーシングサービスの始まり
SWANSのプロアスリートとの関りは、実はモータースポーツから始まりました。
1962年(昭和37年)にモータースポーツの聖地 鈴鹿サーキットが完成したことをきっかけにオートバイブームが起こり、当社もレーサーモデルのゴーグルの開発に着手します。
開発に当たって担当者が何度も鈴鹿サーキットに通い、プロレーサーたちに実際に使ってもらって感想を聞いては改良を加えていきました。
これが選手と一緒に製品開発を行い、その製品で選手のパフォーマンスを高めるSWANSの「レーシングサービス」のはじまりです。
プロアスリートと共同開発したスポーツサングラスの登場
1992年(平成4年)にバルセロナ五輪が開催され、現在もアドバイザリースタッフ契約中のマラソン・有森裕子さんが当社のサングラス「Gullwing」を着用し銀メダルを獲得しました。
マラソン・有森裕子さん
プロアスリートならではの視点
これまで当社では、スノーゴーグルやスイムゴーグルに向けたアイウェアは世に送り出してきましたが、意外にも「スポーツ向けサングラス」はここまで開発されていませんでした。
「着けていることを忘れるようなものがいい」「ライバルから眼の表情を読まれないようにして欲しい」など、従来の眼鏡作りのノウハウにはなかったプロアスリート視点から開発したサングラスはこの「Gullwing」がはじめてでした。
プロアスリートとの関りが広がる
この頃バス釣りも盛り上がっていたことから、同年バスフィッシング・深江真一プロと契約。
のちの2001年(平成13年)には釣り向けのサングラス「WARRIOR」の共同開発も行いました。
この頃からプロアスリートとの契約を進め、スポーツサングラスの積極的な展開を加速させていきます。
逆さまサングラス「e-nox-α」登場
2004年(平成16年)にはアテネ五輪が行われ、マラソン用に開発されたサングラス「e-nox-α」を着用した野口みずきさんが金メダルを獲得されます。
サングラスが逆さまになったような独創的なデザインは当時大きな話題になりました。
もちろん逆さまなデザインにも理由があります。
マラソンやランニングで身体が上下に跳ねてもサングラスをズレにくくするため、レンズの下からフレームが伸ばしたデザインで低重心化を図りました。
現在のマラソン向けモデル「E-NOX NEURON 20’」にもこの技術が採用されており、走る人をサポートするアイウェアとしての系譜はしっかり受け継がれています。
ゴルフ・石川遼プロとの契約
2007年(平成19年)に、ゴルフ・石川遼プロとアドバイザリースタッフ契約を結びます。
当時ゴルフ向けのサングラスはなかなか知名度が上がらず苦戦していたSWANS。
しかし石川遼プロとの契約で一転、ゴルフ用サングラスとしてのSWANSの認知度は一気に上昇しました。
高視認性レンズ「アイスブルーレンズ」
高視認性レンズ「アイスブルーレンズ」の共同開発
そんな石川遼プロと共同開発したのが、のちの「ULTRA LENS for GOLF」の一翼を担う「アイスブルーレンズ」。
「ドライバーショットで青空の中に消えていくボールを眼で追いたい」という石川遼プロの言葉から開発がはじまりました。
紫外線や飛来物から眼を守る「サングラス」から、スポーツをより楽しむギアとしての「アイウェア」へ一歩進めたプロダクトの誕生でした。
阪神タイガース・近本光司選手 西武ライオンズ・源田壮亮選手
プロ野球選手とのタッグ
2020年(令和2年)には西武ライオンズ・源田壮亮選手とアドバイザリースタッフ契約、阪神タイガース・近本光司選手とSWANSサングラス・用品契約を締結。
野球向けサングラス「FACEONE」や、野球用高視認性レンズ「ULTRA LENS for BASEBALL」の開発に携わっていただいています。
以上、SWANSとプロアスリートとの歴史のご紹介でした。
次回は現在のSWANS・山本光学についてお話していきたいと思います。